令和7年20歳を祝う会式辞(令和7年1月12日)
お知らせ
輝かしい令和7年の新春を迎え、本日ここに「中札内村20歳を祝う会」を開催するにあたり、一言ごあいさつ申し上げます。
二十歳の皆さん、本日はおめでとうございます。未来を担う皆さんが健やかに成長され、記念すべき節目を迎えられたことを嬉しく思います。そして、今日まで深い愛情をもってお子さんを育て上げられたご家族の皆様にも、重ねてお祝い申し上げます。ご来賓の皆様におかれましては、公私とも何かとご多用のところご臨席いただき、厚くお礼申し上げます。
中札内村の大人を代表してエールを贈らせてもらいます。今日の私は保護者の一人で、親としてこの式典に関われる最後の機会でもあり、少し感傷に浸っています。いつも以上に説教めいた式辞となるかもしれませんが、ご容赦ください。
人生は可能性に満ちている。そう信じさせてくれる人の話を紹介します。新型コロナウイルス感染症のワクチン開発に多大な貢献があったとして、2年前にノーベル生理学・医学賞を受賞したカタリン・カリコという女性の科学者です。ワクチンの開発には通常10年は必要とされますが、彼女が実用化した「メッセンジャーRNA」という技術により、コロナワクチンはわずか10カ月で完成しました。新型コロナウイルス感染症が日本で拡大し始めたとき、皆さんは中学3年生で、クラスの卒業写真は全員がマスクをしたものでした。彼女の研究成果がなければ、私たちは今もウイルスに怯える生活をしていたかもしれません。
そんな偉大な功績を残したカリコさんですが、その人生の大半は波乱の連続で、屈辱にまみれたものでした。彼女の研究は長く実現不可能と思われていて、変わり者扱いされていたからです。30歳の誕生日に研究室をクビになり、次の研究室では上司から出世する道を邪魔された上に再びクビになります。その後もいくつかの研究所を渡り歩き、41歳で所属したペンシルベニア大学では17年間研究を続けられましたが、全く評価されず、結局、研究室を追い出されました。その時の年齢が、今の私と同じ58歳。絶望していても不思議ではありません。しかし、彼女は研究を続けました。理解者は着実に増え、新型コロナウイルス感染症の大流行で彼女の研究はようやく世界中から注目されるようになりました。
ただの変わり者と思われていたカリコさんの努力が花開くまでに65年かかりました。可能性の種が開花するまでの時間は人それぞれで、その過程は上手くいくこと以上に、壁にぶつかることの方が多いかもしれません。でも、あきらめずに一歩を踏み出し続けてください。そのたびに皆さんは強く、たくましさを増していきます。いつしか、挑戦するからこその壁であり、自分の成長に欠かせないものだと気づくでしょう。そして、お金持ちになったり、偉くなったりすることではなく、成長することこそが幸せだと理解できるはずです。皆さんには生まれてきた意味が必ずあります。大切なのは自分の可能性を信じ抜くことです。
中札内村も、皆さんに誇りを抱いてもらえる古里を目指して歩み続けます。まちづくりにも壁はたくさんありますが、日本一健康で文化的な、優しく穏やかな「美しい村」を目指して、皆さんと一緒に成長することを誓います。これからも古里の頑張りに注目してください。
本日の式典が、希望に満ちた明日へと踏み出す契機をなりますように。皆さんの幸せを心から願い、式辞といたします。